豚児1号ケイタ          (12歳 1999年11月生)    豚児2号ガク           (8歳 2003年10月生)    ころすけポー (このBlogを書いている豚児たちの父親)   
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ハイハイからつかまり立ち
(ガク)
ハイハイからつかまり立ち 



這えば立て、立てば歩めの親心…子知らず

とはよく言ったもので、ガクも生後8ヶ月を過ぎてハイハイからつかまり立ちをするようになった。

ただ、何かにつかまって立ったまではいいものの、自分の平均よりかなり重い体重を支えることや、転んだらどうなるのか、などということはまったく考えていないようで危なくてしょうがない。
まったく、世間知らずの向こう見ずなチャレンジャーなのだ。

兄のケイタの時は僕たちも神経質になっていて、(特に父親のほうだが)柱や角になったところには全部お風呂用マットを細長く切って貼り付け、どこにぶつけてもケガをしないようにしていたものだ。
部屋の見た目は悪くなったものの、どうせたいした来客はない家なので見てくれはどうでもいいと僕は思っていた。
それでも、座ったままで後ろにひっくり返っては頭をぶつけてケイタはよく泣いていた。

ガクもハイハイだけの時はまだ転ぶことはなかったけれど、やっと少し出来るようになった不安定なオスワリが危なっかしい。

それにしても、同じ兄弟でもこうも違うものかと思う。

ケイタはオシャブリが大好きで、歯が生えてきても口にくわえたままで何個も噛み潰してダメにするくらいだったのに、弟のガクはおしゃぶりをいっさい口にしようとしない。そのせいか一度泣き出すとなかなか泣き止まない赤ん坊だ。

おしゃぶりをしてからか、ケイタはモノを口に入れることのない子どもだったので誤飲の心配はほとんどしなかったが、ガクは何でも口に入れて舐めてみないと気がすまないらしく、その点でも向こう見ずなチャレンジャーなのだ。ミニカーでもなんでも口に持っていこうとするので目が離せない。

今年の秋で5歳になるケイタとはかなり一般的な会話が出来るようになっているので、まったく言葉の通じない赤ん坊は、とても不思議な存在だ。

まだ人ではない別の存在のような気がしてしまう。ケイタも数年前まではこんな感じだったとはとても思えない。
おそらく、ガクはこれから少しずつ人になっていく途上にいるのだろう。

「おかあさん、おなかがすいたでしゅよ、はやくしてくだしゃい…」
「これはまずいでしゅ…げッ…こらぁあああー美味いもんつくらんかいッ、ワレェッー…でちゅ…」

僕たちは、まだしゃべれないガクの口真似をして遊んでいる。
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by tonjies | 2004-06-26 14:27 | 豚児2号 ガク
しもねたスイッチ その2  
(ケイタ)
しもねたスイッチ その2 
替え歌?



前回の下ネタを連呼する少年は、今度は自分で歌詞を代えて「チンチン、ウンコ…」と歌うようになった。
いわゆる替え歌なのだが、ひねりも何もなく歌詞を全部「チンチン」にかえてしまったり、ひどいものだ。

たとえば、『おかあさん』というかわいらしい歌では、

♪おちんちん、なぁーに
♪おちんちんっていい臭い
♪せんたくしているおちんちん
♪シャボン玉のおちんちん

これではまったく意味をなさないではないかぁー(こらぁあー!)

と僕などは思ってしまうのだが、まあ、4歳児の考えることだからこんなものかと思っていた。


先日、幼稚園の父兄参観があり、そこでのお遊戯でスマップの『世界に一つだけの花』を踊りながら歌うのがあった。
この手のお遊戯や踊りが大好きなケイタは他の子どもの3倍はオーバーなアクションで力の限りに踊っていた。

それ以来、この『世界に~』もケイタのお気に入りの歌になったらしく、家でよく一人で歌っていた。

そして、歌っているうちにだんだん替え歌になっていった。



♪花屋の店先に並んだ いろんなチンコを見ていた♪
♪ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね♪

♪この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで♪
♪パンツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている♪

♪それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?♪
♪一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?♪

♪そうさ僕らは 世界に一つだけのチンチン♪
♪一人一人違うタマを持つ そのタマを咲かせることだけに♪

♪一生懸命になればいい♪

(中略)

♪そうさ僕らも 世界に一つだけのチンチン♪
♪一人一人違うタマを持つ そのタマを咲かせることだけに♪

♪一生懸命になればいい♪
♪小さいチンコや大きなチンコ 一つとして同じものはないから♪

♪NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one♪



「うまいッ!」

思わず、ポンっとひざを打ってしまった。

タマを咲かせるというのが今ひとつ意味不明だし、花屋の前にチンチンが並んでいるのも不思議だが、我が子ながら、この替え歌はよくできている。

ひょっとしたらケイタは天才かもしれない。
などと、バカな親は思ってしまった。
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by tonjies | 2004-06-22 14:26 | 豚児1号 ケイタ
しもねたスイッチ     
(ケイタ)
しもねたスイッチ      
下ネタ好きは誰に似たのか



最近ケイタは下ネタをよく口にする。といっても実際には下ネタにもなっていない単語の連呼に過ぎないのだが…

ここのところケイタが好んで発する言葉は、チンチン、うんこ、おっぱい…などだ。どこで覚えてくるのか、こういう言葉を連呼して一人で喜んでいる。
小さい子どもがこの手の言葉を使う時、意味などはあまりない。ただその単語のおもしろさで使っているだけなのだ。さらに彼らはそれらの言葉を発した時の大人の反応を面白がっているふしがある。

幼稚園で仲間といつもこんなふざけっこをしているのだろう。

カミサンは嫌がっているけれども、下ネタ好きの僕としては、おもしろいなぁとは思うものの、決して眉をひそめたりはしない。

ケイタと普通の会話をしている時でも、いきなりこの『しもねたスイッチ』がどういう弾みか入ってしまうことがよくある。
すると、チンチン、うんこ、おっぱいなどの言葉の連呼がはじまってしまうのだ。
「はじまったよ」といって母親は呆れているがケイタはとても楽しそうだ。

ユング心理学者の河合隼雄さんによると、この手の素朴な『笑い』は人間の根源的な力となりうるものだという。日本の昔話や神話にも登場するように、キリスト教や儒教の教条主義に飼いならされる以前の人間の『おおらかさ』の表れなのかもしれない。


戦隊ヒーローもの(○○レンジャー)のパロディで、ケイタが、

「チンチンレンジャー!』と叫んでいる。

チンチンレンジャー参上!
「チンチン・レッド!」
「チンチン・イエロー!」
「チンチン・ブルー!」

それぞれに振りやキメのポーズをつけて、チンチンレンジャー?(どういう戦隊ヒーローなんだよ)になりきっているケイタを見て、不覚にも笑ってしまった。

「お父さんは、チンチン・ピンク!」とか言われると複雑な気持ちだが…

(チンチン・ピンクはやめてほしい、特にピンクというのが…せめて他の色にしてほしい…)
というような僕の思いをよそにケイタは「いくぞぉーチンチンピンクぅー!」と戦いごっこをはじめた。

できれは、家の外では叫んでほしくない、と思うのだが、このしもねたスイッチはどこで入るのかわからない。
おかしなことにケイタ自身にもそれがわかってないみたいなのだ。
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by tonjies | 2004-06-14 14:25 | 豚児1号 ケイタ
新しいお友だち 
(ケイタ)
新しいお友だち  
伝えたい想い



「僕のなまえは、○○○ケイタ、4歳なんだ!」

このところ、ケイタは知らない人に出会うと必ず、こういった紋きり調の自己紹介をする。アニメの初回放送で主人公が自分のことを説明する自己紹介のをまねているようなのだ。
その白々しい言い回しが少しおかしい。

先日も犬の散歩で立ち寄る公園でケイタと同じ年の男の子と出合った。
おじいちゃんらしい人に連れられたその子も一人であそんでいたので、すぐにケイタと友達になった。

小さな子が二人で楽しそうにおしゃべりしているのは、傍から見ていて思わず顔がほころんでしまう。自分たちが知っている変身ヒーローものについて語り合ったり、補助輪のついた小さな自転車で競争したり、二人は夕方のひと時を本当に楽しそうに遊んでいた。

よほどその新しいお友達と遊んだのが楽しかったのか、ケイタは帰り道でもずっとその男の子のことをくり返ししゃべっていた。

「△△君は○○なんだぁー」
と嬉しそうにしゃべっていたケイタが、しばらくすると急におとなしくなった。
お友達と別れたのが寂しかったのか、
どうしたの?と聞くと、
「紙もないし…ペンもないし…」と言い出した。

手紙を書きたかったのか?と思っていると、ケイタがポツリと言った。

「また、いっしょに、あそぼう…って言いたかったんだ」

なるほど、と僕は思った。こんなに小さくても『相手に伝えたい想い』というものがあるのだろう。

「今度、△△君に会ったら、自分の言葉で、そう言ってごらん」

借り物ではない自分の言葉で相手に自分の気持ちを伝えること…大人でもそれはとても難しいことなのだと思いつつも、僕はケイタにはそういった




翌日の夕方、犬の散歩にケイタは、
「△△くん、いるかな、いるかな、ワクワクするなぁー」といってついてきた。
新しいそのお友達と遊ぶことをそんなに楽しみにしていたはずなのに、公園でそのお友達がおじいさんとキャッチボールをしたり、他の子と遊んでいるのを見ると、ケイタは急に元気をなくしてしまった。

遠巻きに眺めているだけで、近づいて話かけたり一緒に遊びに加わろうとはしない。その周りで一人でポツンとしているケイタを見ると何だか少し可哀想になった。

新しいお友達の仲間に加わりたいのだけれども、上手く自分を主張できない。そんなケイタの気持ちは少しわかるような気がした。

気恥ずかしさや、やるせない想いを胸に秘めて、そんな自分に腹を立てているのか、僕が声をかけると
「もう、お父さんとは遊ばない!、お父さんはあっちへ行って!」
ケイタはそう言って泣き出しそうな顔になった。

手を貸してやろうかな、とも思ったが、僕はしばらく黙って様子を見ていることにした。

大きな犬を連れているので、公園で遊んでいる他の子どもたちと仲良くなるのは簡単だ。子どもたちを集めて犬に触らせたり、オスワリやフセなどの初歩的な芸をさせ、おやつのドックフードを子どもの手から犬に食べさせたりするとたいがいの子どもたちは喜んでくれる。
ケイタをつれていないで散歩をしている時はたまにそうやって他の子どもと遊んだりしていた。

今回もそうしてやってもよかったのだが、僕はケイタの自主性にまかせようと思ったので、あえて手出しはしなかった。


しばらくすると、ケイタもやっとその子と遊び始めた。いったん一緒に遊び始めると、昨日と同じように二人で仲良くおしゃべりをしたり自転車で競争しはじめた。

ほっとしたけれども、今度はなかなか帰ろうとしない二人を向こうのおじいさんと何とかなだめるのがたいへんだった。
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by tonjies | 2004-06-05 14:23 | 豚児1号 ケイタ
花を愛でる少年 
(ケイタ)
花を愛でる少年 
ツツジの歩道



近所にツツジが植えられた歩道がある。道沿いにずっとツツジの植え込みが続いているので近所の老人達の格好の散歩コースになっている。
毎日、犬の散歩にこの道を通っているのだが、つい一ヶ月ほど前まではつつじの花が盛りでとてもきれいだった。

車道の両脇を赤や白、ピンク色のツツジの花が咲きほこって、田んぼの多いこの郊外の田園風景の中でひときわ鮮やかな道並になっていた。


この歩道に咲き誇っていたたくさんの花々をケイタも気に入っていて、犬の散歩に出かけるときには、うれしそうに自転車でこの道を走っていたものだった。





「おとうさん、赤い花の中にひとつだけ白い花があったよぉー」
そんなたわいのないことを話しながら、犬の散歩をしていたのだ。

でも今ではツツジの花はほとんど散ってしまい茶色に変色した花びらが残っているだけだ。
桜の花があっけないほど潔く散っていくのとは対照的に、ツツジの花は時間をかけて枝についたまま朽ちていく。
先日、ケイタがそのツツジのそばで自転車を降りて立ち止まっていた。

「どうしたの、先に行っちゃうよ」
犬のコロを連れてしばらく歩いて振り向くと、ケイタはやはり同じ姿勢でじっと枯れてしまった花びらを見ていた。

その後姿が何故だかもの悲しそうで、どうしたのだろう、と思って引き返すと、ケイタは目にいっぱい涙をためていた。

「花が枯れちゃったのが悲しいのか?」
と聞くと、ケイタはこっくりと肯いた。

翌日も同じところでケイタは立ち止まったまま動かなくなった。


少し離れたところで、僕はケイタの気持ちが納得するまで黙ってみていた。
何か上手く説明してやりたい気持ちがしたが、結局ケイタ自身が感じ取るしかないことなのかもしれないと僕は思っていた。

彼は今何を感じているのだろう。

季節は流れてきれいに咲いていた花もやがて枯れていく。

花は散ってもツツジそのものは死んではいないし、たとえツツジの木そのものが枯れたとしても、土に返ったツツジはバクテリアや微生物のえさとなり、次の植物の栄養になることでその命は受け継がれていく。
自然の大きなサイクルで見れば個々の命は決して一人では成り立っていない。それは必ずたくさんの過去と未来の命につながっている。
というようなことを4歳の子どもにどうやって教えたらいいのだろう。

「来年にはまたきれいな花がさくよ」と言ってみても、今を生きる(今の瞬間だけで生きている)子供には通じない。






盛者必衰の無常観をうたった平家物語の作者と目の前のケイタが感じていることのあいだに、どんな違いがあるのだろう…というようなことを僕はぼんやりと考えていた。

ショウペン・ハウエルが、『今、木を見ている自分と千年前に木を見ていた人との間に何の違いがあるのだろう』と言った言葉を思い出した。

それにしても、なんて感じやすい子どもなのだろう。坊主頭には似合わない花を愛でる繊細な少年…と我が子ながら感じ入ってしまった。

だが、庭にある祖母が丹精した植木の花を片っ端からむしりとっていつも叱られているのも、同じ坊主頭のこの少年なのだ。
とても同じ人格とは思えない。

庭で見つけたアリを無意味に踏みつけたりしているケイタを見ていると、彼が平家物語の作者のような無常観を感じるには、まだまだ無理があるようだ。
いろいろなものを見ながら、たくさんの命と関わりあいながら成長を遂げている途上のなのだろう。

ツツジの枯れた花を見てしょげていたケイタは、その数分後には何もかも忘れたかのようにはしゃいで自転車をこぎ始めた。

「うんち、うんちッ…」と、おそらくケイタにしかわからない意味不明のことをうれしそうにじゃべりながらふざけているのを見ると、さっきまでのヘコミようは何だったのだろうと思ってしまう。
本当に彼は『生と死』というような哲学的なことを考えていたのだろうかという疑問がわいてくる。

哲学的な命題からいきなり「うんちっ、うんちっ…」だもんなぁ。
うーん、わからない・・・。
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by tonjies | 2004-06-01 14:22 | 豚児1号 ケイタ