豚児1号ケイタ          (12歳 1999年11月生)    豚児2号ガク           (8歳 2003年10月生)    ころすけポー (このBlogを書いている豚児たちの父親)   
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スキンシップが好き
(ガク)
スキンシップが好き



ガクはスキンシップを好む。どういうわけかひとの素肌が大好きで誰かが着替えようとシャツを脱いだりすると寄ってきて、ピタッっと張り付く。暖かくて気持ちがいいのか、背中やお腹に頬を密着させてじっとしている。

素肌大好き…これは母親だけではなく僕でもケイタに対しても同じ事をするので、たぶん裸だったら誰でもいいのだろう。

お風呂に入れる時もそうだ。しばらく僕の裸の胸に張り付いてじっとしている。しばらくそうしていると満足するらしい。
「素肌が好きぃーピタッ」という様子はなんとも可愛らしく愛らしい。何度も書いているけれど泣き叫ぶ時の怒りの大魔人と化したガクと同一人物とは思えないくらいだ。


ケイタがこのガクの癖を面白がって、自分に抱きつかせようとよくしている。

「がくぅうー、がくぅー」と声をかけてシャツをたくし上げてお腹を見せるのだ。ガクも喜んでおにいちゃんのお腹に頬を寄せて張り付いて和んでいる。
そんなガクの様子がケイタも可愛くてしょうがないらしく、「しょうがないなぁー、ガクは…」と言いながらも喜んでいた。

この「しょうがないなぁー、ガクは…」というセリフはケイタの口癖で、ガクの世話をしたり遊んであげるときによくそういっている。バナナを食べさせてやっている時も、兄を信頼しきって無邪気に口をあけてアーンと催促している弟を可愛く思っているのだろう。優しいお兄ちゃんである自分に照れてそんなセリフがでるらしい。

大好きなお兄ちゃんが何度も何度もシャツをあげて裸を見せるものだから、ガクも喜んで抱きついていく。でも何度もやっているうちに大概ガクの方が先にその遊びに飽きてしまって一人で別の遊び始めてしまうのだ。

兄とはいえケイタもまだ幼稚園児なので加減というものを知らない。とっくに飽きているガクを追い掛け回しながら「がくぅー、がくぅー」と叫んでいる。
そう何度も裸を見せられてはガクでなくとも飽きるというものだ。

それでも何度も何度もお腹を出してガクを追いまわしている様子はなんだかおかしいのやら痛々しいのやら見ているほうは複雑な気持ちだ。

ガクの相手をしてあげるという優しい気持ちが空回りしているお兄ちゃん…

「ありがとうなぁー、ケイタ…」

僕はいつも、そう声をかけることにしている。
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by tonjies | 2005-12-29 12:51 | 豚児2号 ガク
父ちゃんは母ちゃんが好きじゃない
父ちゃんは母ちゃんが好きじゃない



「父ちゃんは母ちゃんのことが好きじゃないのかな?」

夕食が終わった後に突然ケイタが言い出した。
母親がどうしてと尋ねると、

「だって、父ちゃんと母ちゃんは、いつもチュッチュ(キスのこと)してないじゃないか」

「好きだといつもチュッチュしていないといけないの?」

「そうだよ」

ケイタに言わせると好きあっている同士はいつもチュッチュしていないといけないらしい。

こんなところで『夫婦の危機』を指摘されるとは思わなかった。


我が家では僕もカミサンも二人の子ども達に必要以上?にベタベタしている。ケイタやガクの頬にキスしたり頬ずりしたりできるのは子どもが小さい今だけの楽しみだ。だから大好きだよということを照れずに言うし態度にも示すようにしている。
知らず知らずのうちに幼い子どもたちの素直さに感化されているのだろう。子どもが産まれてから自分でも少し考え方が変わってきたなと思う。

ケイタも僕らの真似をして、「大好きだよ」といいながらよく幼い弟の頬にチュウをしている。
僕とカミサンが(ケイタの前で)そういうことをしないので、
「父ちゃんは母ちゃんのことが好きじゃないのかな?」と思ったらしいのだ。


ガクがまた我が家の『キス魔』でよくカミサン相手にブチューっとやっている。横を向いている顔を強引に自分の方へ向けさせて、唇を食べるようにパクパクさせることすらある。残念なことにこんな過剰な愛情表現するのは今のところカミサンに対してだけだ。

「ガクちゃん、ママにそんなにキスしていいの?」

カミサンは喜んでいるけれど、なあに、そんなのは今のうちだけで数年もすればきっちりと捨てられて、そんなことをしていたことすら忘れられてしまうだろう。

でも、今の時期に愛されていることを感じて育つのは、これからの彼らの長い人生の中でも重要なことだと僕は思う。
世のなかに自分が受け入れられているという肯定感は、この先の彼らの長い人生の中できっと役に立つ時がくる。順風満帆のときはともかく何か困難に出会った時に、それに立ち向かっていく勇気の源はこんなちょっとした幸福感からなっていると思うのだ。

生きていくための勇気の充填…と考えるとなんだか大変そうだけど、子ども達とふざけながら遊んだり抱きしめたりキスしたりすることは親にとっても楽しい充填作業だ。

きっとそれは、子どもたちに与えるだけでなく、逆に彼等からもその「生きる力」の根源を授けてもらっているからなのだろうと思う。
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by tonjies | 2005-12-25 14:39 | 豚児1号 ケイタ
2歳児から「違う」と否定される父親
(ガク)
2歳児から「違う」と否定される父親


以前、ガクとの間で父親としての『黄金の日々』がもうすぐやって来る、と書いたがその道のりはまだまだ遠そうだ。依然として母親との蜜月期間を過ごしているガクは僕を拒絶することが多い。

機嫌がいいときには父親を遊び相手に選んでくれる。横になっている僕の背中やお腹にまたがったりニコニコしながら首に抱きついてくるのだが、ひとたびその移ろいやすい感情の波が悪い方に振り切れるとたいへんな荒れ模様になってしまう。
そうなると母親べったりの子になって、仲良く遊んでいたのがウソのように父親に対して一転して冷たい態度を示す。社交的にふるまってくれないどころか、近づくのさえ嫌がる。

母親に抱っこされたガクに少しでも近づくと、

「いやぁーだぁー」とかたくなに拒絶されてしまう父親の気持ちは悲しい。

一緒に遊ぶことはもちろん、お風呂にも入れてやっているしウンチをしたオムツも替えてやればご飯も作る…完璧を絵に描いたような父親(ハーイ、僕のことです)でさえも、悲しいかな四六時中一緒にいる母親には勝てない。

母親を独占したい気持ちから「いやだぁー」と可愛く言っているうちはいいのだが、もっとしつこく僕が近づこうとすると、ガクはこう叫ぶのだ。

「ちがぁーうッ!」

違うといわれても困る。いったい何が違うというのだろう。君の太い眉毛も四角い顔も幅広甲高の足も僕とそっくりではないか、僕はガクの父親であることは間違いない(と思う…おそらく…)


牛乳を欲しがって泣いている時にも、僕がガクの口にコップを持っていって牛乳を飲ませてあげようとすると、機嫌のいいときにはそのまま飲んでくれるのだが、ちょっとでも機嫌が悪くなると手におえない。全身で僕を拒絶して手で払いのけようとさえするのだ。

「ちがぁーうッ!」

泣き叫ぶガクを前にして、僕は呆然としてしまった。この『違う』は牛乳ではないといっているのではなくて、飲ませてくれる人が「お前ではないッ!」と言っているのだ。このチビは牛乳を飲ませてくれる人すら指定しようとしているらしい。

僕では嫌だという意味でそう言っていると分かった時は少なからずショックだった。

こうまで父親を否定されてしまったらどうしたらいいのだろう。
子どもは自己中心的な生き物なのだと改めて思う。けれども、前回書いたように父親の出番は「これから」なのだ。もう少し大きくなってプロレスごっこや少し乱暴な遊びをするようになると、状況が変ってくるだろう。そういえば数年前の兄ケイタもそうだった。今でこそ僕の休みの日など僕の後ばかり追いかけてくるので、カミサンから『金魚のフン』と呼ばれているけれど、彼も母親べったりの甘えん坊だった。


僕は昔読んだ『モンテクリスト伯』のラストの言葉を思い出した。岩窟王のタイトルで知られているA・デュマの長い長い小説(確か岩波文庫で7冊くらいあったと思う)その大長編のラストにはこう書いてあるのだ。

「待て、しかして、希望せよ!」


この言葉を今かみしめている…待っていよう、そして希望し続けよう…


待ってろよ、ガク。君もお兄ちゃんのように父親べったりの子どもにしてあげよう。

と父は岩窟王のように数々の艱難辛苦に耐えるのだった。
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by tonjies | 2005-12-23 18:31 | 豚児2号 ガク
バナナの子どもはコバナナ
(ガク)
バナナの子どもはコバナナ



前回、子ども達がたくさん食べるようになったと書いたけれど、ガクはこのところバナナが好きでバナナばかりよく食べている。
兄のケイタが毎日食べるのでウチではバナナが常備されているのだが、これまで絶対食べなかったガクがどういうはずみかバナナ好きになって一日の何本もバナナを要求するのだ。

「ウキィーッ!」とは言わないけれどバナナを見つけるたびに「おいしいかぁー」と言っている。
(ガクに言わせるとこの「おいしいかぁー」というのは「くれー」という意味らしい)

言葉の未熟なガクは、この「~かぁー」という接尾語をよく使う。外に連れて行ってくださいという意味で「いくぅーかぁー」と間延びした発音でよく言っている。この「かぁー」は「何々しよう Let's~」という意味だ。


バナナ喜んで食べているガクをみていると、バナナを天井から吊るして踏み台を使ってそれが取れるかどうかの実験をしてみたくなる。

踏み台が目の前にあればそれを移動させて、踏み台として使うことが出来るのだが、自分の後ろにあるともうそれを使う知恵が思い浮かばない…がむしゃらにジャンプして試行錯誤をくり返す。

チンパンジーに劣るとも優らない…というレベルの知能だと思われるが、試行錯誤をくり返すならまだいい。きっと泣き叫んで、誰かに助けてもらおうとするのだろう。お得意の誰かの手をとって現場まで引っ張っていこうとするに違いない。

自分の体力知力では不可能なことは、周りに居る召使を使えばいい…と考えているのかもしれない。チンパンジーよりはだま少し劣るかもしれないけれど、それでもガクはガクなりに少しづつ知恵をつけているようだ。
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by tonjies | 2005-12-20 05:28 | 豚児2号 ガク
吐くことに慣れていない
(ケイタ)
吐くことに慣れていない


どうもその日は幼稚園から帰ってきてからの様子がおかしかった。
もともとケイタはテンションが高くいつも笑っているか叫んでいるようなところがあるのだが、その日はいつになくテンションがハイのままスイッチがこわれったかのようなはしゃぎようだった。ご飯の時も楽しそうにいつもよりもたくさん食べて、お風呂の中でもずっと喋り続けていた。そんなケイタがやっと大人しくなったのは寝入る寸前だった。

僕たちは「きっと幼稚園で楽しいことがあったんだろう」と気楽に思っていたのだが、これは微熱がそうさせていたようなのだ。

夜中に「おなかが痛い」といって泣き出してしまった。
ケイタはウンチをする前によく「おなかが痛い」という。そう思ってトイレに連れて行ったのだが排便をする気配もない。

お腹が冷えたのかもしれない。
「おなかが痛い、おなかが痛い」ベソをかいているケイタを抱いてフォンヒーターの前に座っていた時のことだ。

ケイタが急に嘔吐した。その前につばを吐きに洗面所にいった後だったので、おかしいなと僕も思っていたのだ。

これまでにケイタは吐いた経験がないので、ビックリしてしまったのだろう。吐くということがよく分かっていない。
そのままの状態で自分のジャージや僕のひざの上に戻してしまった。

「いいんだよ、我慢しないでそのまま出して…」背中をさすって出すだけ出させると少しはすっきりしたようだった。

僕のジャージやケイタの寝巻き、絨毯を汚してしまったのをケイタは気にしていたけれど、そんなことは気にしなくていいと言いきかせた。

それからも吐き気はおさまったものの、今度は下痢がひどく夜中に何度もトイレにいくことになった。

翌日一番で病院に連れていて診てもらうと風邪の症状らしい。翌日も水分補給に薄めた緑茶や温めたアクエリアスなどを飲むたびに「お腹が痛いと」訴えていた。

二晩ほど吐き気と下痢に苦しんでようやくおさまってきたけれど、吐くタイミングがケイタには分からないらしく、その度に毛布や寝巻き代わりのジャージに嘔吐してしまって洗濯物を増やしていた。

僕などは酒飲みだから、吐くという事に関しては自慢ではないが精通している。そんなのは本当に自慢できないことだが、子どもが吐くとこういうことになるんだな、と思った。

実はこの話は2週間ほど前ことで、今ではケイタはすっかりよくなって苦しんでいたことなど忘れたように遊んでいる。だからこんな文章を僕も書いているのだけど、その時にはこんなふうに冷静に状況を書く気にもならなかった。

自分が気持ち悪いとか具合が悪いのは、自分で我慢すれば済むけれど、子どもが苦しんでいるのをかたわらで看ていうるのはとても辛い。出来れば代わってあげたい…という話をよく聞くけれどそれ気持ちは偽りのない悲しい真実なのだと思う。
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by tonjies | 2005-12-16 21:38 | 豚児1号 ケイタ
ママがサンタにキスをした
♪~I Saw Mommy Kissing Santa Claus

サンタクロースは本当にいるのか




我が家のクリスマスツリーにケイタが願い事を書いた紙を貼り付けている。サンタさんへの手紙のつもりらしい。


『おとサンタへ レゴのくるまかって けいたより』 

『サンタさんへ ラチェットあんどクランク3ください けいたより』 (※注 原文のママ)


なんだか自分へのプレゼントの注文書のようだが、父親宛と本物のサンタクロース宛に2枚つるしてある。
ケイタは本物のサンタクロースにプレゼントを頼むだけではすまなくて、上記の『おとサンタ』(父親)の他にも、ババサンタ(祖母)にもプレゼントをねだっているのだ。

つい先日まではサンタさんには『ムシキングRCバトル』と書いてある折り紙がぶら下がっていたのが、いつの間にか希望の品がプレステ2のゲームソフトに代わっている。すでにムシキングの方を買ってきてクリスマスのプレゼント用にしまってあるのだが、…どうしたものか。
ご注文の変更には当サンタクロース店は応じかねますのでご了承ください…マニュアル通りの接客をして幻滅させるようなサンタは演じたくないと思うのだけど。



それはともかく、サンタクロースの存在を子ども達はいつまで信じているのだろう。

おそらくケイタもうすうす真相に気がついているものと思われるが、どこかで信じていたい気持ちもあるのであいまいなままにしているのだろう。何でもシロクロはっきりさせればいいというものではないから、僕はこのあいまいな状況を大事にしてやりたいと思う。

上記のサンタさんへの手紙も、父親へは『○○かって』といっているくせに、本物のサンタさんへは『○○お(を)ください』と丁寧語を使っている。

サンタさんを信じているのはいくつぐらいまでなのだろう。



数年前の新聞の投書欄に父親と小学生くらいの子どもの会話が紹介されていた。

「お父さん、サンタさんって本当にいるの?」
「ああ、いるよ」
「だって、プレゼントはお父さんが買ってきてくれるんでしょう」
「ああ、そうだよ」

そのあとのお父さんの説明がよかった。

「サンタさんは世界中の子供たちにプレゼントをあげたいって思っているんだ。
だけど、サンタさん一人ではとても世界中の子どもたちにプレゼントをあげることができない。
だからサンタさんは、世界中のお父さんやお母さんに、子どもたちにプレゼントをあげたくなるように魔法をかけるんだ。
だって、不思議だろ、クリスマスになるとみんなが子どもたちにプレゼントをあげたくなるなんて…
これはきっとサンタさんの魔法なんだよ」



そうかぁ、そうだったのかぁー
そういう意味では本当にサンタクロースはいるのかもしれない。

僕もケイタがもう少し大きくなったらそう説明してあげようと思った。
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by tonjies | 2005-12-13 10:28 | 豚児1号 ケイタ
さあ手をつなごう

さあ手をつなごう



ケイタを連れて近所のスーパーに買い物に行くときなど、駐車場では必ず手とつないで歩くのが我が家のルールになっている。スーパーの駐車場は運転に不慣れなドライバーが多いので近所とはいえ危険な地帯だからだ。ぶつけられてから、ブレーキとアクセルを間違えたなどと開き直りともとれる言い訳されても取り返しがつかない
そんな判断能力と注意力と運動神経に問題があるドライバーの生息数の多い危険地帯を絶対に子どもだけで歩かせないことにしているのだ。

ケイタは手をつなぐとまともに歩かないで、ピョンピョン飛び跳ねるようにして歩く。みんなで買い物に行くのが楽しいのか、スーパーでムシキングのカードゲームをやらせて貰えることへの期待感か、いろんな気持ちが先走りして思わずスキップしてしまうようだ。

たぶん無意識のうちなのだろうけれど、思わずスキップをしてしまうのはいかにも幼稚園児らしい。でもこのスキップも幼稚園児だから可愛いといってもらえるが、これが中高年のオヤジやオバはんがやっていたのなら、さっと目を伏せられてしまう。

「あー、あのおじさんスキップしているぅー」子どもは正直なもので喜んで母親に報告し始める。「見るんじゃないよ、この子は…指を差すんじゃない…って」

もちろんそんなスキップをしている大人はあまり見かけたことがないけれど、もしいたらかなり嫌だ。

手をつないでいるのでケイタのスキップは横向きに飛び跳ねている。横向きにピョンピョン飛び跳ねて歩いたりふざけてぶら下がってくるので、僕のほうは歩きにくいことこの上ない。

この横向きにスキップしている様子はマダガスカル島にいるベローシファカというサルのみたいだ。
ベローシファカは普段樹上生活をしているのだけど、移動のために地面に降りるとその長すぎる足を持て余して、横飛びにしか走れないのだ。
ケイタはそれほど足は長くないし、まっすぐ走れるのに何故か横に飛び跳ねていることが多い。干支がウサギだから…と年寄りなら言いそうだけど、僕はこれは彼の感情の高まりのなせる業だと思う。
あるいはてっきりホモサピエンスだと思って結婚したのだけど、実はカミサンはマダガスカル島の原猿に近い種族だったのかもしれない…

その母親に聞くと、ケイタとガクを連れて3人で買い物に行くときには、カミサンがガクの手をつないで、ケイタにはガクの開いている方の手を握らせて、3人で繋がって歩くようにしているらしい。

これなどは、母親のしっぽにしがみつく麝香ネズミの習慣によく似ている。一部のネズミは子どもの連れて歩くのにキャラバンというシステムを使う。母親のしっぽを咥えている子ネズミのしっぽに子ネズミが次々とぶら下がっていくのだ。(このキャラバンが走り回る様子は連結されたプラレールのようで楽しい。)

そう、子どもを連れて手を繋ぐことは「キャラバン」なのだと思わず納得してしまう。親である僕は近所のスーパーに限らず「子どものため」という名目でいつでも手を繋いでいたいと思う。

でも、そんな親の思いを知らずに、いつかはその手を振り切って彼らは走り出していくのだろうとも思うのだ。
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by tonjies | 2005-12-10 11:11 | 豚児1号 ケイタ
朝の寝顔
朝の寝顔



朝僕が出かける時間には、まだ二人の子どもたちは寝ていることが多い。犬の散歩もあるので僕の出勤前は忙しい。一通り朝の用事を済ませるともう出勤時間になっているのだ。

そんな忙しい朝でも出かける直前に僕は2階に上がっていって二人の寝顔を眺めてから家を出ることが習慣になっている。どんなに忙しくて慌しい朝でもこれだけは行なっている。暖かい布団の中で寝ている子ども達を見ると、この季節の寒い外に出て行く気持ちも引き立たせてくれるような気がするのだ。

ケイタが産まれた時からそうしている。たまに兄弟のどちらかが起きて僕を見送ってくれることがあるけれど、それでもまだ寝ている方の寝顔を見に行かないとなんだかその日は一日中落ち着かない。

寝ている二人を見に行くと、最近はガクがお兄ちゃんに寄り添って同じポーズで寝ているのをよく見かける。兄弟だから寝相までシンクロするかのようだ。
暖かい毛布に包まって夢の中にいる豚児たちの幸せそうな寝顔が、寒空の中に出かけていく僕の胸の中にほっと暖かいものを与えてくれる。朝の冷たい空気の中を駅まで歩いている時も、寒いけれど子ども達があの暖かいぬくぬくとした様子で寝ていると思うとなんだか楽しい気持ちになってくるのだ。ついさっき見たその光景が僕の胸の中で暖かくとどまっていて、僕はそれを心のホッカイロと呼んでいる。

朝の時間は貴重だ。独身の頃はぎりぎりまで寝ていて起きてから5分で家を出るような生活をしていた。
起きてまず1分で着替えて、トイレで1分半、1分で顔を洗って歯を磨き、その間にトーストされていたパンを1分半で食べて靴をはく、これでジャスト5分…(5分しかないのにパンまで食べようとしていたなんて・・・)

その頃のことはたまに思い出す。起きて一時間後に余裕を持って出勤している今の生活と比べると考えられない気がする。でも毎日そうやっていたのは他でもない僕自身なのだが・・・。
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by tonjies | 2005-12-06 00:14 | 思うこと
たくさん食べて大きくなーれ
たくさん食べて大きくなーれ



我が家の子ども達は2人とも小さいころから食が細かった。食べ物の好き嫌いがはっきりしていて、たとえお腹が空いていたとしても嫌いなものは食べようとはしない。

嫌いな食べ物を食べないというのならまだ納得がいくが、この嫌いなものというのが食べたことがないもの一般をさすらしく、食べたことがないものは彼らにとって全て嫌いなものなのだ。
なんという食わず嫌い…初めてナマコやウニを食べた人を見習えといいたい。食べる量も少ないし、これはいったい誰に似てしまったのだろうと常々思っていた。

カミサンは元体育会系だから学生のころはドカベンを食べていたらしいし、(実際高校のころに使っていた弁当箱を見せてもらったことがある…それは女子高校生のものとは思えない大きなドカベンだった…山田太郎や悪球打ちの岩鬼が持っていたようなドカベンを食べている女子高校生を想像して思わず笑ってしまった)

僕も食事の嗜好に薀蓄をたれる肝臓肥大の知ったかぶりよりも、出されたものは何でも「美味い美味い」といって残さずに食べる方が格好良いと考えているので、その健啖家夫婦の子どもが繊細な食生活に甘んじていることが信じられない思いがしていた。

子ども達がたくさん食べただけでなんだかほっとするようだったのだが、そんな子ども達もこのところ少しずつ変わり始めてきた。

ケイタは量だけなら大人に負けないくらいのご飯を食べるようになった。感心なことにオカズも少しずつだけど新しいもの自ら食べようと努力している。毎日ひとつずつ新しいものを食べてみるということを日課にし始めたのだ。たぶん全身全霊で遊ぶことに起きている時間のほとんどを費やしているのでおなかが空くのだろう。夕方近くになると、

「かあちゃん、はらへったぁー」 と言っている。

なんだかドリフのコントのセリフのような言葉もこれまでの少食ぶりを思うとうれしい言葉だ。

ケイタはまだ会話が成立しているのでなんとか宥めたりおだてて色々なものを食べさせる作戦が効を奏しているのだが、ガクはまだ手におえない。嫌いなものは口に持っていっても一切食べてくれない。「フンッ」と抗議されるか、口に含ませても吐き出してしまう。チビの癖にここまで強情な嗜好をもつことに呆れるよりもその頑なな意思の強さにある種の敬意すら感じてしまった。

そんなガクも気に入ったものだけはたくさん食べることができるようになった。納豆ご飯が今1番のお気に入りらしく大人の一膳分ぐらい平気で食べている。
「おいしー、おいしー、」と催促しながら食べている様子はホンの少し前まででは信じられない光景だ。
この納豆のおかげかひどい便秘で苦しんでいたのが嘘のように毎日快便の日が続いている。
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by tonjies | 2005-12-02 13:04 | 豚児1号 ケイタ