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誰もいない雪原
誰もいない雪原

d0046853_1914218.jpg

春休みに入って長野の田舎に遊びにいった。もう関東では桜も咲き始めている。でも長野のスキー場にいけばまだ雪遊びぐらいできるだろうと、子どもたちのスキーウェアも車に積んでいった。

僕の実家のあたりは雪のカケラもなかった。近くのスキー場に行って見ると、なんと雪不足で早くもスキー場が営業していない。リフトも動いていないし、レストランもクローズである。でも先週の寒波のせいで10センチほど新雪が積もっていた。

ソリ遊びをするくらいならこれで十分だ。

誰もいなゲレンデでガクとケイタにそり遊びをさせる。

負けず嫌いのガクは、人生なんでも勝負事と思っているらしく、兄とソリでレースをやっているつもりになっている。

勝ち負けの基準がよくわからないが、ガクだけの思い込みがあるらしく、負けると泣き出すので始末に終えない。

先に滑っている兄に向かって

「うぁーー、おにいちゃんー、おにいちゃんー、ガクが、ガクが…」

自分が勝ちたい一心で必死に泣き叫んでいる。

そんなガクに気を使ってくれたケイタがわざと転んでやると、ゲンキンなもので急に泣き止んだ。

「お兄ちゃん、クラッシュー」と喜んでいる。

d0046853_1914522.jpg


最後は母親ガクチームと父ケイタチームに分かれての雪合戦をやった。
日ごろの鬱憤を晴らすつもりか、カミサンは僕の頭めがけて雪ダマの集中攻撃をしてくる。

ふっ、しかたがない、降りかかる火の粉は払わねばなるまい…、

と普通の雪ダマの5倍くらいの雪の塊を、カミサンの顔にぶつけてやった。




   
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by tonjies | 2009-03-31 18:43 | 豚児2号 ガク
お風呂の中のプール指導
(ガク)
お風呂の中のプール指導



お風呂に入るときに、ガクは決まって、

「顔に水でやらない?」という。

頭からシャワーのお湯をかけないでくれという意味である。以前、水に慣れさせようと無理やり洗髪時に頭からかけたことをしつこく根に持っているらしく、お風呂に入るときに決まってこういうのだ。

顔に水がかかるのを何よりも嫌うガクは実際に顔も自分では洗えない。いつもよく絞ったタオルで拭いてもらって済ませている。

いつまでもこれでは困るので、先日のプール見学の日からガクの『特訓』が始まった。

ガクは口までなら水面下にすることが出来る。前日のプール指導でガクがやっていたのを思い出して、二人でお風呂に入っている時に鼻をつまむことを教えた。

「がく、いいか、うやって鼻をつまんでいれば水は入らないから、鼻までもぐれるよな。目は入れなくていいからね」

そういって、何回か鼻までもぐってみせる。その真似をしたガクが成功すると、兄のケイタと一緒にことさらにそれをほめた。

「じゃあ今度は、鼻をつまみながら目もつぶってみようか。目をつぶったら目にも水は入らないから、おでこまでもぐれるよ」

顔を拭くタオルを用意しながら何回か目をつぶってチャレンジすると、一人で洗面器のお湯を自分で顔にかけたり、浴槽に顔をつけてもぐれるようになった。

一回できるようになるとあっという間に出来てしまう。それまでの気後れは何だったのだろうと思うくらいだ。

初めて何かをしようとする時は確かに大変なものだとは思うけれど、


以前、千葉の木更津社会保育園のドキュメンタリー映画を紹介した新聞記事を読んだ。

「里山っ子たち」「小さなチャレンジャー」

その中で里山保育を実践している宮崎栄樹園長がこう言っている。

人生に必要なものとは、初めて何かをしようとする時の「身構え」や「意欲の持ち方」であり、「挫折の悔しさ」も含む成功体験なのだ。大切なのは、成果の大小よりも、結果に至る道程での雌伏体験であり、「必ず道はある」という予感を捨てないことなのだ。


初めて何かをしようとする時の「身構え」や「意欲の持ち方」…

僕は、何度も洗面器に顔をつけて水にもぐる練習をしているガクを見ながら、この言葉の意味を考えていた。それは幼稚園児だけでなく、こんな不確実な世相に生きる大人にとってもあらためて心に留めておきたい言葉だと思う。
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by tonjies | 2009-03-14 15:05 | 豚児2号 ガク
プールの中のキョンシー
(ガク)
プールの中のキョンシー


ガクの通っている幼稚園では、併設しているスイミングスクールのプールをかりて、ひと月に2回くらいプール指導がある。先日、このプール指導の日に父兄見学会があり、カミサンと見に行ってきた。

ガクは泳ぐことはおろか、水に顔も付けられないので、いったいプールの日はどうしているのか、僕たちはとても気になっていたのだ。

案の定、ガクはプールの中で固まっている。
プール指導といっても、水の中を歩くとか、端につかまってバタ足のようなことをしたりするだけなのだが、何よりも顔に水がかかることを嫌うガクにはすべてが苦手なようだ。

プールの中を歩く時には、両手を前に出して、『キョンシー』のようになっていた。

また、先生の号令で一斉に顔を水面につけるところでは、しゃがんで口までをつけて誤魔化している。
男の子のほとんどはプールの中で水を掛け合って遊んでいるのだが、その中でガクだけが水をかけられそうになるとこわばった表情で横を向いて抵抗している。

相変わらず泣きが入っているガクを僕たちはハラハラしながら見ていた。
でも体育指導の先生から後で聞いた話だと、プール指導が始まった頃はもっとひどくて、ガクは泣き叫んで絶対にプールに入ろうとしなかったらしい。それが今では、こわごわながらもプールに入りみんなと同じ事をしようと努力している。ガクなりにがんばって進歩しているようだ。

まずは水に慣れる事が大事だ。お風呂の中で洗面器のお湯に顔をつけるところからはじめよう。とカミサンと話し合った。

でも、僕はこの時まですっかり忘れていたのだけど、僕自身も小学2年生くらいまで、水が顔にかかるのが苦手だった。泳ぐことはもちろん洗面器に顔をつけることすら出来なかったのだ。
よく風呂のなかで、3つ年上の兄に宥められながら、洗面器に顔をつける練習をしたものだ。恐くて顔を付けられない僕に、お湯を張った洗面器のきれいなビー玉やおはじきを沈めて、顔をつけて見てごらんと言われていたのをよく覚えている。

でも、その後すぐに泳げるようになったのですっかりそんな事は忘れていた。ガクも最初の恐怖心さえ克服してしまえば、なんとかなるだろう。
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by tonjies | 2009-03-12 15:00 | 豚児2号 ガク
グズグズだらだらな日々
(ケイタ)
グズグズだらだらな日々
少年達よ、未来は


毎朝、ケイタが着替えもせずにぐずぐずとしていると、母親の叱声が飛ぶ。

「ぐずぐずしないでッ!」
「早くしなさいッ!」

実際ケイタは寝起きが悪い上、朝の支度もせずに、のんびりとマンガを読んでいることが多い。毎朝のことなので時間がないのは解かってはいるのだろうが、キビキビとした動作が少しも見えず、ミツユビナマケモノがのそのそと歩いているような仕草を見ていると、こっちの方がイライラしてしまうのだ。

「早くしなさいッ!」

毎朝、全国でどれくらいの小学生が母親からそう言われているのだろう。

学校の用意や朝の支度だけでなく、普段の生活でももう少し、キビキビ、シャキシャキと出来ないものかと思う。学校の宿題も、土日など時間はたくさんあるのだが、伸ばし伸ばしにして日曜の夜にまとめてやらなければならなくなり四苦八苦していたりする。

小学生の生活態度はこんなものか、とは思うが、グズグズだらだらな日々はあまり感心しないし、ガミガミと言いたくなる母親の気持ちももっともである。


気分がどうのこうの言って、なんになりますか。ぐずぐずしている人間に気分なんかわきゃしません。今日できないなら、明日もだめです。一日だって無駄に過ごしてはいけません。
(「ファウスト」より)


と、かのギョーテも言っている。


でも、僕もかつてぼーとした小学生だったからケイタの気持ちも何となくわかる。ダラダラした生活態度は子どもの特性である。さらに小学生男子の耳の構造は特殊に出来ていて、母親のガミガミ声が聞こえてくると、その声は不思議なことに右の耳から左の耳へ通り抜けてしまうのだ。

そんな小学生に『規則正しい生活をしましょう』というような教条的なことを言ってもあまり意味はなく心にも響かない。はじめから自分のことがきちんとできて自律していたら、誰も小学生なんかやっていないと思う。
数々のガミガミ声が頭の上を通り過ぎる日々を経ないと、そんな自律心は身につかないのだろう。ただそんな毎日と付き合う母親は大変である。


前述のゲーテの言葉だって、主人公のファウストが天使に言われている言葉だ(…と思う。うろ覚えだけど…)

天使にこう言われているということは、ファウストはいつもはグズグズダラダラしていた日々をおくっていたのだろう。だからこそ天使がこう叱責しているのだ。まるで、「早くしなさい」と叱られている小学生と同じである。

また、グズグズしていることが一概に悪いばかりとも言えないと思う。小学生のだらしならとは異なるかもしれないが、長い人生の中ではグズグズダラダラしないと解からないとだってあるはずだ。

シェークスピアだって、

賢明に、そしてゆっくりと。速く走るやつは転ぶ。
(「ロミオとジュリエット」より)


と言っているではないか。

『明日できることは今日はしない』 という言葉もあるし、スワヒリ語の『ポレポレ』(ゆっくり)という語感も僕は好きだ。

毎日をあくせく時間に追われるように過ごすのは、大人になってからで十分のような気もする。
ボーっとした一見無駄に見えることが、実は20年後30年後には無駄ではないかもしれないではないか。



山口瞳さんが「少年達よ、未来は」のなかでこんなことを書いている。


「私が会社に勤めて月給を貰うようになったころ、そのとき私はまだ二十歳だったのですが、 私の先生にあたる人と一緒に、ある会場に行くということがありました。 

駅で切符を買い、改札口を通ったときに、電車がプラットフォームにはいってくるのが
わかりました。駆け出せば、その電車に乗れるのです。すこし早く歩いたとしても乗れたと思います。周囲のひとたちは、みんな、あわてて駆けてゆきました。

しかし、先生は、ゆっくりと、いつもの歩調で歩いていました。私たちが階段を登りきってフォームに着いたとき、電車はドアがしまって、発車するところでした。駅には、乗客は、先生と私と二人だけが残されたことになります。先生は、私の気配や心持を察したようで、こんな意味のことをいいました。

「山口くん。人生というものは短いものだ。あっというまに年月が過ぎ去ってしまう。しかし、同時に、どうしてもあの電車に乗らなければならないほどに短くはないよ。・・・・それに第一、みっともないじゃないか」

私は、この言葉に感銘をうけました。

何かの事件が起こる。乗り遅れまいとして、ワッと飛びつく。そのために自分の歩調を乱す。それはミットモナイことなのだ。そんなふうにも解釈したのです。

目的地に達するための電車が来る。駆け出せば、それに乗れる。そういう事態は、その後の23年間に何度もありました。
そのたびに、私は先生の言葉を思い出しました。

私は教訓的なことを言うつもりはないのです。ナーニ、5分も待てば次の電車が来るのです。先生と私以外の乗客は、みんな、前の電車に乗ってしまいました。先生と私は次の電車に乗りました。その電車は空いていて、悠々と座ることができました。

私は、なんだかよくわかりませんが、あッそうかと思ったのです。

少年たちは、自分の未来をどのように想定しているだろうか。
あるいは、現在の世の中をどう見ているだろうか。
私には非常に興味があります。

Aという地点からBという地点に到達するには、さまざまな道があると思っていただきたい。AからBに行くために、いったんCに寄ってみることも可能なのです。あるいは電車を一台やり過ごしてもBという目的地に達することができます。

AからBに直線的に進むというのが、少年や青年の特徴であるかもしれない。

私には、実のところ、少年達が自分の未来像をどのように想定しているかということがわかりません。人によって千差万別でもあるでしょう。
しかし、私の経験からいうならば、ただひとつ、アセッテハイケナイということだけは言えると思うのです。焦る必要はない。
 
そうして私は、ストレートに社会に出てきた青年たちに、ある種の脆さを感ずるのです。脆いところの青年達は、同時に絶えず、身を立て名をあげるために焦っているように見受けられるのです、近道反応が目立つのです。

もう一度、言いましょうか。
 
人生は短い。
あっというまに過ぎてゆく。
しかし、
いま目の前にいる電車に乗らなければならないと
いうほどに短くはない。」



20歳の頃、古本屋でこの本を見つけて、僕は何回もこの部分を読み返した。でも、毎朝母親に「早く」とせかされている小学生には、まだこの言葉は教えていない。





   
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by tonjies | 2009-03-03 00:30 | 豚児1号 ケイタ